今夜8時過ぎに福島から帰ってきました。マイクロバスで13時間、乗っているだけでも疲れました。運転手さん、ほんとうにご苦労さまでした。
2日の政府交渉では、私も、雇用問題、Xバンドレーダー問題、原発問題で、質疑を行いました。雇用問題では、府会議員団がとりくんだハローワーク前でのアンケートをまとめた冊子「まともに働きたい 202人の叫び」を渡して、労働者派遣法の改正や最低賃金を時給1000円に引き上げることは急務だと訴えました。また、企業による解雇を規制するうえで、再就職支援計画を出してもらって、離職者が出ることを前提にした対策では遅すぎる、雇用調整計画の事前報告のしくみが必要だ、と訴えました。厚生労働省の担当者のみなさんも冊子を開いて目を通していました。
Xバンドレーダー問題では、地図も示して、レーダー基地の設置場所はどこになるのか、出力はどれくらいになるのかなど、これまでの説明会でも明らかにされていない点をただしましたが、「アメリカと調整中」「レーダーの性能がわかるので明らかにできない」などの答弁でした。そのほかのやりとりで、防衛省は、都合のいいところでは青森の車力の例を出し、都合の悪いことでは出さない、という対応でした。そこで、私は、米軍関係者のうち技術者が多数だという防衛省の言い分に対して、「車力では、100人中、60人が民間軍事会社の警備員ではないか」と追及したところ、「技術者は数十人」とこたえました。「それなら、技術者が多数」という説明はおかしいではないか、と指摘しました。このやりとりを通じて、川柳ができました。「しゃかりきに 車力本願 防衛省」
原発問題では、日本海の断層調査について、「今年度、5億8千万円の予算で調査する」という答弁があったので、「今年度で調査は終わるのか」とただしたところ、「8年間で終える予定」という回答でした。
2日の夜に福島に入り、南相馬市の牛越仮設住宅の集会所で宿泊し、3日は、暴風雨のなかを、仮設住宅や民間借り上げ住宅の訪問・激励行動、浪江町と南相馬市小高区の視察、自治会長さんらとの交流会が行われました。
私は、島田府議と自治会長さんの案内で、お米と水と八つ橋を届けながら民間借り上げ住宅を訪問しましたが、どこでも「初めて来てくれました」と歓迎されました。また、みんさんに共通していたのが、4~5ヶ所、転々と移り、ようやく借り上げ住宅に落ち着いたということでした。対話の中では、「住むところを転々とするなかで、飼い犬が死んでしまった。犬もストレスを感じていたんでしょう」「3丁の田んぼ、5~6反の畑があり、農家をやっていたが、原発から17キロで、もう農業はできないだろう。コンバインや乾燥機を買ったばかりなのに、借金も返せない。賠償金は出るだろうが、全額は出ないだろう」など、切実な声をお聞きしました。
4月1日に立ち入り可能になったばかりの浪江町内を、馬場町議の案内でまわりましたが、3.11から時間が止まったまま、という現状に、言葉もありませんでした。続いて、渡部南相馬市議の案内で小高区を回りましたが、昨年8月末に来た時と、現状はほとんど変わっていませんでした。マイクロバスの中で、仮設住宅の方から、「仮設住宅の入居期間が延長されるというしらせがあったが、仮設の住民は誰一人喜んでいない。ほかに住むところがないのだから、延長は当然だが、延長するということは、自宅に帰れないということだ」という訴えがありました。私は、仮設住宅や京都の公営住宅の入居期間の延長を喜んでいましたが、被災者の胸のうちがわかっていなかった、と反省させられました。今回も福島に線量計を持っていきましたが、今の私の気持ちを川柳であらわすなら、「線量計 はかり知れない 胸のうち」というところでしょうか。あらためて、被災者の思いに心を寄せて、復興支援にとりくむ決意を新たにして帰ってきました。