世間はゴールデンウィークに突入しましたが、私たちには無関係です。

 午前中は、京都原水爆被災者懇談会の第51回定期総会に参加しました。報告でも強調されましたが、先日のNPT再検討会議の準備委員会で「核兵器の非人道性」を指摘し、核の不使用を呼びかけた共同声明に、日本政府は賛同しませんでした。唯一の被爆国の政府として許し難い態度です。その理由が「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは、人類生存の利益」との表現が、「日本の安保政策と一致しない」から、というのですから、日米安保を優先して核兵器廃絶に背を向ける態度と言わなければなりません。来賓あいさつでは、久米弘子弁護士から、原爆症認定訴訟の現状と日本政府の問題点を報告されました。京都府も被爆手帳の申請をしても、なかなか交付をしない、という問題があり、現在相談にのっている方も、今日の総会に参加されていましたが、こうした政府や京都府の姿勢をあらためさせなければなりません。

 今年の1月9日に永眠された、元北上地区労議長で、全日赤中央執行委員長、京都医労連副執行委員長などを歴任された土井重勝さんをしのび、「土井重勝さんを語る会」が開催され、173人ものみなさんが参加されました。11人の方が、在りし日の土井さんを語りましたが、組織、運動、学習を統一して奮闘された土井さんの労働組合運動の傑出したリーダーとしての姿がこもごも語られました。同時に、最後の娘さんのあいさつの中で、「今日は、たたかう父の姿を聞かせてもらったが、家庭では、女3人に囲まれて、たたかう前に負けていた」というエピソードが、とてもほほえましく、参加者の涙を誘っていました。私の思い出としては、土井さんには、毎日更新しているブログを毎日見ていただいていて、会うたびに激励してもらいました。昨年10月11日の原発ゼロネットの府庁包囲行動に、「君のブログを見て知った」と言って、病院を抜け出して参加されたのが、土井さんの元気な姿を見た最後でした。土井さん、ほんとうにお疲れさまでした。安らかにお眠りください。

 

 夜は、私の地元でもあるとともに、こくた恵二衆議院議員の地元でもある、衣笠・金閣後援会が、偶数月の最終土曜日に開催している、「こくたさんを囲むつどい」に参加しました。こくたさんは、先日の国会質問で使ったパネルの原版を紹介しながら、政党助成金の依存率がどれだけ高くなっているか、小選挙区制によってどれだけの死票が出ているかを説明しました。私は、米軍レーダー基地配備計画をめぐる情勢と今後のたたかい、府立堂本美術館の入り口の段差解消の経験について報告しました。その後の懇談では、「米軍レーダー基地がどれだけの範囲に影響をおよぼすのか」「アベノミクスで物価をあげるというが、それで景気がよくなるのか」「政府が『主権回復の日』ということを突然言い出しのはなぜか」など、活発な議論になりました。